お疲れ様、THE YELLOW MONKEY。
2004年8月3日 音楽
今日は朝知った朱里エイコ急死について日記に書こうと思い、
でもやっぱり会社でシフトの件でイヤミを言われて相手を蹴り倒そうかと思った事に変えようか、と思い帰宅したら
THE YELLOW MONKEY 解散。
↑これにします。
レビューは一番好きなアルバム『jaguar hard pain』のコンセプトでやっていたツアーのDVDです。
『薔薇娼婦麗奈』『ROCK STAR』『RED LIGHT』『悲しきASIAN BOY』などなど、私のツボにはまりまくる曲揃いのアルバムで、本当にバイト通勤で聴いてたウォークマンのテープが切れるかと思う位聴き狂いました。
いわゆるロックバンドの音にストリングスが入るあたり、もう昇天しそうな位気持ちよかったのです(笑)。
舌たらずな甲高いひっくり返りかけの声で歌う見目美しいバンドの声はいまだに受け付けません(誰とは言わないけど)。このバンドは声がいかがわしく、ちゃんと野郎の声だった。しかも、カッコよかった。
もうハマってから10年程になるのかな、ライブも結構行ったしファンクラブにも入ったままの状態です。
でもやはり、最近のメンバーの活動とか見てると、特にメインで曲を書いてたロビンがバンドの面影は残しつつもどんどん変貌していくのを見てて、あぁこれはイエモンには戻らないだろうな…と思っていた所でした。
全県ツアーで奈良に来た時、ファンクラブの抽選でその県に住む会員は優先的にチケットを取れるという仕組みになってて、私も奈良県文化会館で7列目の端っこをゲットしました。
花道のそばだったけど、ロビンはダッシュして花道にやってきてそのまま私の目の前を走り去りそのまま客席へダイブ。一緒に行った当時の会社の先輩によると私は『小さく前へならえ』の姿勢でダイブしたロビンの姿を見つめてたそうです。びっくりしたもん。
ヒーセも、ここからが花道。という場所にスピーカーが組んであって、楽器を持ってないロビンはすぐに来れるけど他のメンバーは来れないな、などと思ってた私の目の前に、わざわざ一度ベースを肩から外してまで花道へ来てくれました。嬉しかったです。
レベッカ同様、大阪での最後のライブをとても良い席で見られた事はラッキーでした。大阪ドームでアリーナ21列目、会場中央の花道のすぐそば。しかも暴れやすい通路側。ライブ中に後ろを振り返ってみたら霞んで見えなかったです。
あの時は年末にアルフィー武道館・城ホール・そして大晦日の神戸カウントダウンが終わり1日寝て新年早々仕事へ行ってからのドーム…さすがにアホな私も風邪をひいてましたが、『これに行かないと、もうイエモンは見れない。気がする。』と無理やり行ったのです。行ってよかった。
バンドが解散後ソロ活動をしている人で、元のバンドを越える活躍をした人ってすぐには思い浮かばないのです。解散してもやはり元いたバンドの看板がつきまとうパターンは多いから。
もう今日のこの日記みたいに思い出話しか出来なくなってしまったけど、どうかTHE YELLOW MONKEYの大きな看板に押しつぶされたりせず、吉井和哉氏・廣瀬洋一氏・菊地英昭氏・菊地英二氏がそれぞれ活動していける様に…。
…やっぱ寂しいけどね。
30年やってるアルフィーって、やっぱすごいんだなとか、そっちも思ってみる…。
それではまた☆
でもやっぱり会社でシフトの件でイヤミを言われて相手を蹴り倒そうかと思った事に変えようか、と思い帰宅したら
THE YELLOW MONKEY 解散。
↑これにします。
レビューは一番好きなアルバム『jaguar hard pain』のコンセプトでやっていたツアーのDVDです。
『薔薇娼婦麗奈』『ROCK STAR』『RED LIGHT』『悲しきASIAN BOY』などなど、私のツボにはまりまくる曲揃いのアルバムで、本当にバイト通勤で聴いてたウォークマンのテープが切れるかと思う位聴き狂いました。
いわゆるロックバンドの音にストリングスが入るあたり、もう昇天しそうな位気持ちよかったのです(笑)。
舌たらずな甲高いひっくり返りかけの声で歌う見目美しいバンドの声はいまだに受け付けません(誰とは言わないけど)。このバンドは声がいかがわしく、ちゃんと野郎の声だった。しかも、カッコよかった。
もうハマってから10年程になるのかな、ライブも結構行ったしファンクラブにも入ったままの状態です。
でもやはり、最近のメンバーの活動とか見てると、特にメインで曲を書いてたロビンがバンドの面影は残しつつもどんどん変貌していくのを見てて、あぁこれはイエモンには戻らないだろうな…と思っていた所でした。
全県ツアーで奈良に来た時、ファンクラブの抽選でその県に住む会員は優先的にチケットを取れるという仕組みになってて、私も奈良県文化会館で7列目の端っこをゲットしました。
花道のそばだったけど、ロビンはダッシュして花道にやってきてそのまま私の目の前を走り去りそのまま客席へダイブ。一緒に行った当時の会社の先輩によると私は『小さく前へならえ』の姿勢でダイブしたロビンの姿を見つめてたそうです。びっくりしたもん。
ヒーセも、ここからが花道。という場所にスピーカーが組んであって、楽器を持ってないロビンはすぐに来れるけど他のメンバーは来れないな、などと思ってた私の目の前に、わざわざ一度ベースを肩から外してまで花道へ来てくれました。嬉しかったです。
レベッカ同様、大阪での最後のライブをとても良い席で見られた事はラッキーでした。大阪ドームでアリーナ21列目、会場中央の花道のすぐそば。しかも暴れやすい通路側。ライブ中に後ろを振り返ってみたら霞んで見えなかったです。
あの時は年末にアルフィー武道館・城ホール・そして大晦日の神戸カウントダウンが終わり1日寝て新年早々仕事へ行ってからのドーム…さすがにアホな私も風邪をひいてましたが、『これに行かないと、もうイエモンは見れない。気がする。』と無理やり行ったのです。行ってよかった。
バンドが解散後ソロ活動をしている人で、元のバンドを越える活躍をした人ってすぐには思い浮かばないのです。解散してもやはり元いたバンドの看板がつきまとうパターンは多いから。
もう今日のこの日記みたいに思い出話しか出来なくなってしまったけど、どうかTHE YELLOW MONKEYの大きな看板に押しつぶされたりせず、吉井和哉氏・廣瀬洋一氏・菊地英昭氏・菊地英二氏がそれぞれ活動していける様に…。
…やっぱ寂しいけどね。
30年やってるアルフィーって、やっぱすごいんだなとか、そっちも思ってみる…。
それではまた☆
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